現代において人間の脳には無駄な機能が備わっている。無(最高の状態)から学ぶ

前書き

「反応しない練習」という本がベストセラーになったけど、本書も心の反応を書いた本といえる。

われわれ人間の考え方のクセついて書かれていて、それに対しての対処法が書かれている。

けっしてキレイゴト書かれておらず、現実に即して書かれてる。(タイトルがチョット宗教っぽいがゼンゼンそんなことはない)

生まれつきネガティブ

序盤では、人間の脳のつくりについて書かれている。

われわれ人間は生まれつきネガティブ

 現代人の心は機能不全を起こし始めました。危険に満ちた原始の世界では役に立った警戒システムが、安全が増した現代ではうまく働かなくなったのです。

無(最高の状態)

原始の時代は狩猟などで食料を確保していて、それには危険がつきまとった。猛獣に殺されて生きて帰ってこれないこともあった。

だから危険な場所は避けていたし、人が死んだ場所には近づかなかった。

また、危険なことは脳の記憶に深く刻まれ、忘れにくくなっていった。

この「悪いことは忘れにくくなった」という機能が、今の時代では役に立たなくなったということだ。

役に立たないどころか、悪く働いている

悪いことは早く忘れたほうが得なのに、忘れることができない。

結果として、ネガティブな感情に苛まれ、悶々とした日々を過ごしてしまう。

ここで気づけたことは、ネガティブな考えが去来してしまうのは人間の本能であり、異常なことではないということだ。

 人間が苦しみをこじらせるのは、私たちが目の前の世界だけを生きられないからでした。

無(最高の状態)

未来や過去に目を向けるのは、われわれ人間だけ。

この能力のおかげで、われわれ人間は驚異を避けることができるようになり、他の生物と圧倒的な差をつけることができた。たとえば以下のような感じ。

「この場所では以前に危険なことがあった」(過去の記憶)
「だからこの場所は今後は近づかないようにしよう」(未来への対処)

だけど猛獣に殺される心配がなくなった今では、この能力は悪く働くことになってしまっている。以下のような感じだ。

「この取引先の部長は気難しい人だ」(過去の記憶)
「だからこの取引先とは取引しない」(未来への対処)

このように自分の気持ちに正直に行動していては、今日の資本主義社会で成果をあげられない。むしろこんなことをしていたらクビになって収入が減り、生きていけなくなるかもしれない。

今と昔では状況が大きく違う。だけど、人間の脳は現代に即していない

人間の脳は物語を即座に作り出す

 誰か見知らぬ人と出会ったとき、あなたの脳はすぐに過去の記憶を引き出し、「この人は母親に似ているから良い人だろう」や「背が高いから怖い人かもしれない」といったような判断を1000分の1秒で下します。

無(最高の状態)

人間の脳は物語を瞬時に作り出すようになっている。

実際に、いつも開けるドアの向こうにどのような景色があるか僕らは知っている。いつも開ける部屋のドアの反対側の景色を、毎回目で視認して理解しているわけではない。

ドアの向こう側の景色を想像することだけであれば生活に支障はないが、引用した文章にも書いたように、「この人は怖そうな人だ」というような物語は、相手との人間関係の構築に悪影響を及ぼす可能性もある。

そのため、この脳の機能は現代には不要といえる。しかしこの脳の機能は、原始時代から受け継がれたものだ。

さて、現代ではどうすればいいのか。

「人間の脳は勝手に物語を作り出すものだ」と理解しているだけで、かなりお得に生きられるのではないかと思う。

たとえば、いい人だと思っていた人に裏切られたときに、「脳が勝手に作り出した物語が間違っていた」と客観的に考えることができる。

抵抗すると苦しくなる

 苦しみ=痛み×抵抗

無(最高の状態)

抵抗するだけ苦しみが増える。

たとえば、「友達とケンカをした」という現実があったとき、「この友達をギャフンといわせてやろう」と考えれば(抵抗すれば)、さらに苦しくなる。(ギャフンといわせてスッキリすることもあるだろうが、嫌な記憶は残る)

最初の苦しみ(ここの例では「友達とケンカをした」)は避けられないが、二の矢は避けることができる。たとえば以下のように。

友達とケンカをしたという現実は変えられないが、「ごめんね。言い過ぎたよ」と自分から謝って(降伏して)、より良い未来を作る努力はできる。

本書では目の前の現実を受け入れることを、降伏と呼んでいる。

 痛みへの降伏とは、痛みを楽しむこととは違いますし、痛みに感謝するわけでもなく、「自ら痛みを求めよ」や「痛みをただ受け入れよ」などと言いたいわけでもありません。本書で言う”降伏”は、あなたが直面している現実を認め、それに正面から向き合うことを意味します。

無(最高の状態)

ミー・センターから抜け出す

ミー・センターとは、発生している事象を「自分ごと」として捉えること。

ミー・センターでいると、苦しみは増えてしまう。「周りで起きている出来事が自分と関係がある」と考えてしまうものなので、容易に想像できると思う。

このミー・センターを減らすことができれば、もっと感情のコントロールができるようになるというのが、本書で書かれていることだ。

 軽い頭痛やめまい、ふと頭をよぎる不安、同僚たちの口喧嘩。そんな小さな問題が起きるたびに自分の問題として捉えていたら、心がすり切れるのは当然でしょう。

無(最高の状態)

対処として、観想(オープンモニタリング法)というトレーニングが紹介されていた。

日本大百科全書(ニッポニカ)「観想」の解説

簡単にいうと瞑想に似たトレーニングで、リラックスして座り、身体に起きた変化(例えば感触や痛み)や発生した考え(例えば「仕事でミスをしたときのことを思い出した」)に注意を向け、それらの事象が発生したことをただ捉え続けるというトレーニング。

ここに「嫌なヤツだな」や「ムカつく」といったような自分の”判断”は入れずに、ただ事実を見つめ続けることが重要だという。

このように世の中の事象を「ただ発生したこと」と捉えることで、ストレスが減少した研究結果なども根拠として書かれていた。

幸福にも降伏する

ダジャレではなく真面目な話で、幸せな出来事に対してもミー・センター(自分ごと)にならずに、「こういう幸せなことが起こった」とだけ認識して、そこに自分の判断はできる限り入れないほうがいい。

「こんなに努力しているのだから報われて当然だ」や「ここまで勉強時間を使ったのだから合格して当然だ」という考えにつながってしまう。

幸せなことも、そのまま主観を入れずに受け入れることが大事。

 「幸福感があがるはず」や「意思決定力を高めよう」などと考えず、ただ淡々とすべきことに取り組みましょう。

無(最高の状態)

後書き

原始と現代で、こんなにも人間の脳の機能にデメリットが発生していることに驚愕。

大昔は役に立ったことが、今では足かせとなっている。

あらためて、人間てものすごい進化を続けてきたのだなと思った。

そして、脳の進化は追いついていないのだな、とも思った。