「1億稼ぐ子どもの育て方」を読んで日本の教育に警鐘を鳴らす

はじめに

午堂登紀雄氏の「1億稼ぐ子どもの育て方」を読んだ。本のタイトルはハウツー本のように感じるが、そんなことはなかった。

タイトル通り、”子供の育て方”にフォーカスを当てて書かれた本となっているが、子どもがいない人たちにとっても有益な本だと思った。

どんな人にとっても、これからの人生をより良い方向に進めるための材料が書かれていると思ったし、世界の教育と日本の教育の違いについても触れられていたので、視野を広げることができると思った。

そして本書の中でも書かれていたが、本を読むことは視野を広めることにつながり、失敗しても次があると前向きに考える心の土台を作るもので、本書はその知見を深めてくれる。

本記事では、「1億稼ぐ子どもの育て方」から得た気づきを書いていきたいと思う。

アメリカの強みと自己肯定感

アメリカの教育の強みとして、以下のことが挙げられていた。

  • 疑問を持つことが許される
  • 自己責任だが生き方を選べる
  • 挑戦が称えられる

日本は非常に閉塞的な国だ。あらためてそう考えさせられた。日本の教育は、周りの人間たちと同じようになることを強制させられることが土台となっている。しかし、アメリカでは人と違うことが価値であると認識されているのだ。ここの違いについては、本書でも随所で触れられていた。

この違いは、かなりクリティカルなものであると僕は思う。前々から、なんとなく日本の教育について疑問を感じてはいたが、自分の言葉で表現することができていなかった。しかし今なら言える。日本の教育は受動的なものばかりで能動的なものはほとんど無い。僕の小学校、中学校、高校の時を思い出してみても、生徒が自発的に取り組む、というような学習はほぼ無い。

自分自身が消極的な人間だったことは認めるし、クラスの中にはバシバシ発言していく生徒もいたと思う。ただここで言いたいのは、教育の土台が受動的であることが率直にヤバいと思うのだ。英語の授業なのに、生徒が一言も英語を発声することなく終わる光景はある意味異常だ。当時高校生だったが、何かがおかしいと高校生なりに考えていたことを覚えている。

能動性と関連があることとして、日本では周りと同調することを強制させられ個性を重んじない。他人と違うことが価値として認められづらい環境となっているので、受動的で指示待ちの人間になってしまいやすい。これでは、他人との比較の中でしか価値を見出せない。これでは、新しいものを作り出して価値を生み出そうなんて考えは生まれてこないし、前述したとおり言われたことしかできない指示待ち人間になってしまうだろう。

真の価値とは、多くの他者に影響を与え認められることだ。これらは決して比較などといった相対的なものではなく、絶対的なものであるはずだ。

プロコン分析

プロコン分析とは、Pros(メリット)とCons(デメリット)を考えつく限り出し尽くし、比較して決める分析方法を言う。

このプロコン分析が、子どもを一緒に行うことが効果的だと書かれていた。子どもと真摯に向き合い、子どもが「続けたくない」と考えた物事でも一緒にプロコン分析をして、子どもに良い側面(Pros)があることを自発的に発見させるというものだ。

このプロコン分析が語られている中で、印象的な言葉に出会った。

「どのような事象にも複数の側面がある。良いことだけ、または悪いことだけ、というのは存在しない。」という言葉だ。

つまり、自分の頭で考えて行動せよ、ということなのだと思う。「嫌だ」とか「続けたくない」と思ったとき、仮にそれらをやめることになるのだとしても、どうしてやめるのか、ということを考えることは重要だ。追い詰められているときは物事の悪い部分しか見えないことが多いけれど、一呼吸おいて俯瞰的に物事を見てみると、「これを続ければ~ができるようになるかもしれない」などの良い側面も見えてくるのではないか。

もう一つ印象に残った言葉があった。

世の中は不公平と矛盾に満ちている。そして残酷さと不条理に満ちている。それでも親はまっすぐに向き合い、正直に生きることを子供に見せることが重要だ

プロコン分析のことと合わせて考えると、この言葉が非常にしっくりくる。世の中の不条理なことに出会っても、それらの良い側面を発見しつつうまく付き合い、その正直な生き方を子どもに伝えることが大切なのだな、と思った。

日本はやたらと「我慢することが美徳」と考える風潮があるが、まったくもって意味が無いと思う。ただ我慢して続けるだけでは意味が無い。「続けない」という選択をするにしても、なぜ続けない選択をしたのかを考えるのが重要なのだと思う。

少し本章の話から脱線してしまったが、物事のメリットとデメリットを考える能力が無いから「いいから続けろ」としか言えない親が多いのだと思う。物事を広くとらえることができれば、子どもに続けることの意味を伝えることができる。日本の我慢魂が無意味であると僕はふと思った。




怠惰な人の部屋には本が無い、というのはあながち間違ってない

“はじめに”でも書いたが、本を読むことは知見を広げ、たとえ失敗しても終わりではないことを考える力を育む、と本書に書かれていた。

この言葉がうまく説明されていた。

本を読むことで語彙が増えて表現力が上がる。そして自分の心情を相手にうまく伝えられるようになる。そして本を読まない人間は、自分の気持ちを相手に伝えられないがために、イライラして「キレ」やすくなる。

誰でも「キレ」やすい人に出会ったことはあるだろう。僕も思い返してみた。そのような人をよく観察してみると、自分の感情表現が下手だ。論理的に順序だてて説明する力が少ない。そしてイライラして「キレ」るのだろう。

相手に対して「キレ」ているように見えるが、本書を読んで気づいたのは、「キレ」ている人たちは自分に対して「キレ」ているのだ、ということだ。自分の心情を言葉で相手に伝えられないがために、自分の能力の低さに「キレ」ているのだ。なんと可哀そうな人間だろう。自分の子どもをこのような人間にしたいだろうか。誰もが「No」と答えるはずだ。

僕も進んで本は読むようにしているが、本書の「怠惰な人の部屋には本が無い」という言葉を読んで、読んだ本は捨てずにとっておこうと思った次第だ。そして、いつでも読み返せるように、目につく場所に置いておこうと思った。本は読むだけではなく、置いておくことだけでも良いことがあるというのは、本書を読んで気づかされたことだ。

終わりに

詳しくはこの「1億稼ぐ子どもの育て方」を手に取って読んでほしいが、本書では「子どもに~はしない方がいい」というようなことも多数書かれていた。それらの99%は、僕は親(今は縁を切っている)から受けていた。絶縁してようやく自分の人生を送れるようになったが、あらためて日本の教育の誤りを認識したし、日本には親になりきれていない親が多いことがわかったような気がする。

会社の上司でも同じだ。役職が上、または歳が上というだけで安易に彼らの言葉を信用してはいけない。すべては自分の頭で考え、情報を精査して合理的に自分で判断を下すことだ。

日本は、間違いだらけだ。(俺の言葉)