スティーヴン・キングの「書くことについて」を読んで

前書き

スティーヴン・キングの「書くことについて」を読んだ。小説家のキングが書いたエッセイだ。

最近の僕はもっぱらビジネス書をよく読む。小説は嫌いじゃないし、学生の頃にたくさん読んだ。だけど最近はビジネス書や実用書を読む。理由は時代に取り残されたくないから。

この「書くことについて」を手に取ったのは、作家の樺沢紫苑氏がYouTubeで紹介していたからだ。樺沢氏がどのように紹介していたかは覚えていないけれど、読みたいと思ったのはタイトルに惹かれたからだと思う。

僕自身こうしてブログを始めて、以前より書くことに向き合うことが多くなった。回数も多くなったし記事の質にもこだわるようになった。だから書くことのプロであるスティーヴン・キングが、書くことについて何を語るのかとても興味があった。

「書くことについて」を読んで、印象に残った言葉を引用しつつ、本書からの気づきを書いていきたい。

作家になりたいのなら

僕は作家になりたいわけじゃない。だけど、情報発信をするひとりの人間として、書くことについて上手くなっていきたいと思っている。良い文章が書ければより多くの人に読んでもらえる記事が書けると思うし、このブログサイトへの訪問者も増えるだろう。

読者が増えれば書くことへのモチベーションは上がるし、それはブロガーでも小説家でも変わらないと思う。

本書に、「作家になりたいのなら、」という書き出しから始まる言葉があった。引用させていただく。

作家になりたいのなら、絶対にしなければならないことがふたつある。たくさん読み、たくさん書くことだ。私の知るかぎり、そのかわりになるものはないし、近道もない。

この言葉、あなたにはどう聞こえるだろうか。

正直な話、この言葉に新鮮なものはないと思う。作家を志すものなら誰もが思っているだろうし、これと同じようなことを言っている人もいるかもしれない。だがここで僕が言いたいのは、多くのベストセラーを世に送り出し、たくさんの作品が映画で作られるくらいのスティーヴン・キングでさえ、上達に近道はない、と断言しているところだ。

スティーヴン・キングだからこそ、このありきたりな言葉がありきたりに聞こえなかったのかもしれない。だが、僕は何事においても上達や成功に近道はなく、地道に作り上げていくものなのだ、ということをあらためて実感した。



環境のせいにしない

ビジネス書を読んでいて、よく目にする言葉がある。「環境のせいにするな」、といったような言葉だ。「他人は変えられない。変えられるのは自分だけ」といったような言葉もよく目にする。

本書の中でもそのような言葉が語られていた。

もっといい環境のもとで書くことができ、まわりの者の理解があれば、傑作を生みだすことができるのに。
だが、私の見たところでは、どんな邪魔が入ろうが、気をそらされようが、実際のところ、仕事に大きな支障が出ることはない。

「創作科の講座や演習は役に立つか」といったような質問を、キングは作家を志す者から受けることがあるという。その中でこの言葉は語られていた。

要するに、成功するための近道や特効薬が存在するか、という疑問の答えは「存在しない」で、周りの物理的な環境は自分の人生にはそんなに影響しないということだ。

「環境のせいにするな」という言葉は非常に威圧的で押しつけがましい言葉だと思うが、キングの言葉は彼の人生そのものの言葉であると感じたし、彼の経験が物語っているものなので印象に残っている。

「環境のせいにするな」と言うより、「環境を変えても大して人生変わらない」と考えた方が、圧倒的に生産的であると感じた。

批評とは何だ

スティーヴン・キングが批評について書いていた。

ところで、批評とは何だろう。そこにどれほどの価値があるのだろう。私自身の経験から言うと、残念ながら、ほとんどなんの価値もない。批評なるものの大半は腹が立つほど漠然としている。

今の時代では誰もが批評を書くことができる。このようなブログでも書けるし、自分のサイトを運営していなくてもAmazonのレビューで好きなことを書ける。その作家が気に入らなかったら最低評価(☆ひとつ)を付けることもできる。そんな批評になんの価値があるのか、ということだ。

この言葉から察するに、キングも批評には目が行っていたようだ。しかし彼の結論として、批評にはなんの価値もない、ということだ。

大賛成だから僕はこの章でこの言葉を紹介しているわけだが、僭越ながら僕の言葉で言わせてもらえば、他人の言葉にいちいち反応して一喜一憂していては時間の無駄だ、ということだ。

世の中どこにでも欲求不満な輩は存在する。承認欲求が満たされていないような欲求不満状態だから内容のない批評を書くのだろうし、当たり前だがそんなものには意味は無い。

補足するわけではないが、キングは誰よりも読者のことを考えている作家だ。本書の中で触れられていたが、読者に喜んでもらえる作品だという確信がなければ、それは書斎から出すべきではない、とまで言っている。キングの作品の第一読者は常に彼の妻であるそうだが、彼女の感想や指摘を、キングはとてもありがたく思っている、と書かれていた。

金のためではない

本書の最後の方で、とても印象的な言葉が書かれていた。それはキングが小説を書く理由だ。

答えはノーだ。現在も過去も。確かに私は小説で金を稼いでいる。だが、金のためにと思って文字を書いたことは一度もない。

ものを核のは、金を稼ぐためでも、有名になるためでも、もてるためでも、セックスの相手を見つけるためでも、友人をつくるためでもない。一言でいうなら、読む者の人生を豊かにし、同時に書く者の人生も豊かにするためだ。おわかりいただけるだろうか。幸せになるためなのだ。

つたない言葉で表現するが、これらの言葉を読んだとき感動した。

本書ではキングの作家になるまでの出来事を書いた「履歴書」という章が存在し、そこでキングの人生が語られている。「履歴書」を読めばこの言葉の真の意味がおわかりいただけると思う。

キングは一度たりとも何かのために文字を書いたことはない書くことが好きで書くことに没頭し、書くこととともに生きてきた。このような純粋な気持ちで書き続けてきたのだと思う。

書くことだけではないが、何かの見返りのためにやるのならば、ただその報酬のためでしかないのだと思う。自分の好きなこと(ときには自分ができることを考える必要もある)をやり続け、それを無心に突き詰める。そのときに、何のためにやってるか、というような別のことは考えない。やり続けた結果、何かが返ってきて、それが良いものでも悪いものでも受け止めて解釈して、また次に進む。その繰り返しなのだと思う。

成功者はみんなこのようにして生きてきたのだと思う。



後書き

スティーヴン・キングは1999年の6月に交通事故に遭い、命を落としかけた。車にはねられた。

3週間の入院生活と2週間のリハビリの後、完治していない状態とはいえ書くことを再開した。

キングはこう言っている。

私はまた前に進みはじめた。そこが肝腎なところだ。いつだってはじめる前がいちばん怖い。始めたら、それ以上は悪くならない。

僕はこの言葉を忘れないようにしたい。

ビジネス書を読んでこの類の言葉に出会うことはあるし、実際その通りだと思っている。だがこのキングの言葉は、彼の人生や実際の経験から出た言葉で、ものすごいリアリティがある。

本記事のまとめとしてこの言葉を書きたい。

批評を恐れず始めよう

始めないと人生は動き始めない。始めれば、人生は動き出す。