イシューからはじめよを読んで

書くこと

「イシューからはじめよ」という本を読んだ後のアウトプット。

バリューのある仕事

生産性とは

まず、生産性を定義する。

生産性は、どれだけのインプットに対して、どれだけのアウトプットを出せたか、ということになる。

つまり生産性を上げたければ、少ないインプットから多くのアウトプットを出す必要がある。

イシュー度と解の質

バリューのある仕事とは何か?という問いに対して、本書ではイシュー度と解の質のマトリックスを用いて説明されていた。

僕の考える「イシュー度」とは「自分のおかれた局面でこの問題に答えを出す必要性の高さ」、そして「解の質」とは「そのイシューに対してどこまで明確に答えを出せているかの度合い」となる。

イシューからはじめよ

解の質が高くても、イシュー度が低ければバリューのある仕事とはならない(そもそも必要性が無いのだから)。

イシュー度が高くても解の質が低ければバリューのある仕事とはならない(アウトプットの質が低いのだから当たり前)。

犬の道

前項でバリューのある仕事をマトリックスで示した。

バリューのある仕事をするときに、先に解の質を高めようとすることを本書では「犬の道」と表現されていた。

つまり、まずはイシュー度(必要性の高さ)をちゃんと見極めようということ。

「とにかくアウトプットをしよう」という考え方は危険。

前項で生産性について定義したが、少ないインプットから多くのアウトプットを出すことが生産性を高めるということ。

つまり、イシュー度を見極めずに一心不乱にアウトプットすることは、生産性を下げることにつながってしまう。

多くの仕事を低い質のアウトプットで食い散らかすことで、仕事が荒れ、高い質の仕事を生むことができなくなる可能性が高い。つまり「犬の道」を歩むと、かなりの確率で「ダメな人」になってしまうのだ。

イシューからはじめよ

100歩譲って、あなたが人並みはずれた体力と根性の持ち主で、「犬の道」を通っても成長できたとしよう。だが、その後、あなたはそのやり方でしか部下に仕事を教えることができなくなってしまう。つまり、リーダーとしては大成できない。

イシューからはじめよ

答えの出せないことに時間を割くな

「本質的な選択肢」であり、十分に「深い仮設がある」問題でありながら、よいイシューではない、というものが存在する。それは、明確な答えを出せない問題だ。

イシューからはじめよ

「答えを出すことができない問題が存在する」ということは、覚えておくべきだと思った。

研究の分野でも、「今の技術では解明することができない」ということはあるそうだ。

なにかに取り組むとき、「答えを出そう」としてしまう。

もちろん「答え」は必要なのだけれど、それが絶対的な答えである必要はないと思う。

答えがそもそも出せないのであれば、取り組む必要は全く無い。

答えは出せないけど代替案などで解決に導くことができそうなのであればそうした方がいい。

つまり、答えばかりを出そうとして問題の本質を見失ってはならないということだ。