前書き
東進ハイスクール、東進衛星予備校の講師、林修。
僕はこの本を読むまで、林修氏が現役の予備校講師だとは知らなかった。YouTube動画で林修氏を知ったが、作家をやりながらタレントをしている人と想像していた。
YouTubeの動画は林修氏が出演しているテレビ番組の一場面であったが、一度見ただけで彼の人柄が好きになってしまった。見る前は熱血漢で熱い先生という少し怖いイメージがあったが、全く違った。
そして彼が言うことには、説得力があった。
一番印象に残っているのは、「やりたいこと」という尺度で考えず、「できること」で考える、という言葉だ。誰でもやりたいことで稼げればいいが、そうでない人の方が圧倒的に多い。そんな「やりたい仕事しかやりたくない」と考えて働けない若者たちに向けた言葉だ。
林氏に師事したことはないが、YouTubeで見ていたからなのか、林修氏のことは林先生と呼びたい気持ちになってしまう。本記事でも林先生と書くことにする。
林先生の「いつやるか?今でしょ!」を読んで、印象に残った言葉を書き留めたい。
生きていくことは面倒くさい
実は、生きていくことそのものが、本当に面倒くさいことなんですよ。毎日歯を磨いて、ご飯を食べて、お風呂に入って…。
林先生がこう書く真意は、社会に出たらひとり暮らしをするべきだ、という考えからだ。つまり「自立」について語っている。
ビジネス書を読んでいて、「ひとり暮らしをするべきだ」と書いている本は少なくない。でも林先生のこの言葉が印象に残ったのは、「面倒くさい」とまっすぐに表現していたからだ。
僕も本当に生きるのが面倒くさいとつくづく思う。林先生が書いていること以外に挙げれば、「髪の毛を切る」、「爪を切る」、「洗濯をする」、「掃除をする」といったところだろうか。他にも考えればたくさん出てきそうだ。
働くのだって面倒くさい。システムエンジニアという職につけていて、そんなに「やりたくない」仕事ではないが、仕事内容がすべて「やりたいこと」であるはずもない。
でも生きるために必要だからやっている。本当に生きることは面倒くさいと思う。
しかしその面倒くささの中に、案外幸せがあったりする。大変な仕事を終えた後の食事はおいしいし、ジョギングした後のお風呂は気持ちがいい。
「自立」とは少し話が逸れてしまったが、そんな面倒くささを楽しめるようになれば、本当に素敵なことなんじゃないかとふと考えてしまった。
「自立」に話を戻すと、僕は高校卒業前から理由があってひとり暮らしをしていた。始めたときは本当に大変だった。林先生の言うように、本当に面倒くさかった。
自由になりたい、ということがひとり暮らしを始めたひとつの理由だったが、自由なんてほとんど無いと言ってもいいほどだった。
体調も崩したし、メンタル的に疲れてしまったときもある。
しかし、そんな面倒くささを乗り越えたからこそ、今の自分があると思っている。
僕の考えでは、30歳を過ぎて親元を去れていない人は要注意だ。あと、親元を去れていない大人を見る世間の目も、優しくはないと知っていて損はないはずだ。
権威
最終的に、相手があなたの意見を聞き入れてくれればよいのですから、相手が権威を感じやすい第三者をうまく利用するという手だってあります。
「権威」とは、相手への影響力のことだ。相手が自分に対して「権威」を感じていれば、相手は自分の話をよく聞いてくれる。
この言葉が印象に残ったのは、僕にとってとてもヒントになったからだ。
僕は、なんでも自分でやる、ということをモットーにしていた。今もそうだと思う。だけど、仕事において自分の話を聞いてくれない人はたくさんいる。
特に僕は客先常駐エンジニアだから、働く場の中では「派遣社員」だ。だから相手に権威を感じてもらえず、話を聞いてもらえない場面に遭遇することは多々ある。
しかしよく考えてみれば、客先の「権威」を持った「プロパー社員」に窓口になってもらえばいいだけの話なのだ。
僕はバックグラウンドで技術力を提供して、その連絡窓口は派遣先の社員がやればいいことだ。普通に考えれば、それがあるべき姿だ。
つまりこの話の中で言えば、「派遣社員」と「プロパー社員」の役割の話で、役割分担をして仕事をすればいいだけの話ということだ。そしてそれが一番生産性の高いやり方だったりする。
日本では「浅く広くできる人」が価値を持つらしいが、アメリカでは「狭くても深くできる人」が価値を持つ。
こういう「役割分担」という考え方ができれば、相手に話を聞いてもらえなかったとしてもそんなにストレスにはならないし、生産性も上がる。
何かできないことがあったとしても、別のところで結果を出せばいいという考え方にもつながるし、しなやかに行動することができるのではないか。そして、案外こういう考え方ができている人は、少ないんじゃないか、と思ったりもした。
なれあうなかれ
最後に書きたいのは、「なれあうなかれ」ということについてだ。
林先生は言う。
「群れる」→「なれあう」という悪いリズムにはまって、なんとなく淋しくて、いつも同じ仲間とつるんでいる―決して傷つけるようなことを言わない。自分たちだけの「符牒」の通じる、居心地のいい仲間同士で、同じ話や昔話を繰り返している・・・もし、そんな老人のような「青春」を過ごしているとしたら、一刻も早く見直してほしいと思います。
僕は思うのだが、「なれあい」の状態になってしまっている場所はたくさんあると思う。職場でも、コミュニティでもそうだ。
同じことを長く続けることは立派だが、それがマンネリ化してしまっていてはダメということだ。適度な緊張感が必要という風に言うこともできるだろう。
あと、「居心地がいい」というのもキーワードだ。
「居心地がいい場所」、つまりコンフォートゾーンから抜けないと人間は成長しない。「居心地がいい場所」に居続けてしまっては成長できない。
自己成長を応援してくれているからこそ、林先生はこの言葉を書いたのだと思う。「老人のような青春」というのが、なんとも林先生らしいというか、林先生独自の言葉だな、とも思った。
孤独が多すぎるのも危険だ。だけどなれあいの状態になってしまうのの危険だ。適度な緊張は必要なのだ。難しいけど、これも人生だ。
後書き
最後まで読んでいいただき、ありがとうございます。少しでもこの本の面白さが伝わったら幸いです。
僕はこれからも林先生をフォローしていきます(フォローして本ブログで定期的にアップするという意味ではありません)。林先生が言うことには独特の表現があるし、とても説得力があるから。
僕はこれからも、自己成長の道を進み続けてやろうと、気合が入りましたよ。