「美(ちゅ)ら海、血の海」を読んで

馳星周の本としては異なったテイスト

馳星周といえば、裏社会を舞台にまっとうに生きられない不器用な人間たちをバイオレンスに描く作家だと思っていた。

しかし、この「美(ちゅ)ら海、血の海」はそんな今までの馳星周の著作とはまったく異なる作品となっていた。

個人的な話だけど、僕の中での今までの馳星周の傑作は「不夜城」だった。でも今ではこの「美ら海、血の海」が僕の中の馳星周の傑作だ。

まず、この「美ら海、血の海」にはセクシャルな表現が無かった。今までの馳星周の作品には、少なからず生々しい性の描写があったと思う。でもこの「美ら海、血の海」にはなかった。それどころか、青春の恋を描いていて、とてもみずみずしい感触があった。

そして暴力的な描写も少なかった。後述するが、本書は戦争を舞台とした小説となっている。部隊長から部下への理不尽な暴力などは描かれていたが、今までの馳星周のハードボイルドな暗黒小説とは違い、追うものと追われるものの戦いのような要素はなかった。

今までの馳星周作品のテイストを知っている人も知らない人にも、この「美ら海、血の海」は本当におすすめできる一冊だ。

 

美(ちゅ)ら海、血の海の舞台と鉄血勤皇隊(てっけつきんのうたい)

美(ちゅ)ら海とは沖縄の方言で「美しい海」を意味する言葉だ。そしてこの「美ら海、血の海」という小説の舞台は、太平洋戦争末期の沖縄。沖縄の今の美しい海も、血に染まった時代があった、という意味が込められている。

そしてこの小説のもうひとつのキーワードが、鉄血勤皇隊(てっけつきんのうたい)だ。

鉄血勤皇隊の定義はWikipediaで以下のようになっている。

鉄血勤皇隊(てっけつきんのうたい)は、太平洋戦争末期の沖縄県において、防衛召集により動員された日本軍史上初の14~16歳の学徒による少年兵部隊である。

この小説の主人公は、鉄血勤皇隊の学徒のひとりだ。年齢でいえば中学生。中学生の年の青年たちが戦争に駆り出され、無残に死んでいった時代があった。

彼らだけでなく、沖縄の多くの人々が命を落とした。戦争の恐ろしさを、鉄血勤皇隊の学徒の目線から描いている。

 



印象に残った言葉1

肉体も心も、今日を、今この一瞬を生き延びることを最優先にしようとしていた。過去は余計なものでしかない。

どのシーンであるか忘れたけど、上の言葉が書かれている個所があった。

最近のビジネス書やYouTubeの動画発信などでも、今を生きることの大切さを伝えているものは多いと思う。

でも、この小説の戦争を舞台にした背景で今この一瞬を生きるという言葉は、とても心に響いた。

そして過去は余計なものでしかないという言葉にも非常に心を打たれた。

平和な今を生きている僕がこんなことを言うのは厚かましいかもしれないが、戦争といういつ死ぬかわからない時代を生きた人たちには、今のこの一瞬というのが何より大切なものだったのだろうと思う。

 

印象に残った言葉2

 軍人になり、天皇陛下のためにこの身を捧げるのだ。
 そんな夢はもう捨てよう。この島のために、死んでいった人たちのために、この島で暮らし、結婚をし、子を育て、畑を耕そう。

皇軍は無敵だ、と教えられていた鉄血勤皇隊の学徒たちは、天皇陛下のために身を捧げると教えられてきた。

そんな教えに疑問を感じ始めた主人公の気持ちとして、この言葉が書かれていたように思う。

主人公は途中で年上の女学生に出会い、一緒に米軍の攻撃から逃げることになる。そんな女学生を横にして、主人公は思いを馳せるのだ。

この言葉が心に残ったのは、人を思って生きることの大切さが感じられたからだと思う。

天皇陛下のため、というのを間違っているとは言わないが、会ったこともなくどんな人かも知らない人間に命を捧げる、という気持ちで生きるよりかは、すぐそばにいる人のために生きた方が絶対にいいに決まっている。

そばにいてくれる人のために生きる、という感情があるからこそ、僕ら人間は子孫をもうけて繁栄し続けることができたと思う。

逆に言えば、そばにいる家族のために生きることができなければ、他者のため、世の中のために生きることはできないと感じた。

 

印象に残った言葉3

観光に訪れては、南の島の楽園だと能天気に笑いながら、海で泳ぐのだ。1945年に血で赤く染まっていたあの海で。

この言葉は後書きに書かれていたように思う。

太平洋戦争末期の沖縄は、本土から見放され情報もろくに伝わっていなかったという。そのため、戦争が終わっていることに気づくことが遅れ、多くの人の命が奪われたという。

この言葉は、沖縄を見捨てた本土の連中が、能天気に沖縄の海で泳ぐことを少し批判しているようにも聞こえる。

でも一番大切なことは、「沖縄の海で泳ぐな」ということではなく、1945年に美ら海が血で染まっていたことを忘れてはいけないということだと思う。

1945年の凄惨で過酷な時代を生き抜いた人たちがいたからこそ、今の沖縄が美しくいられるのだということを、忘れないことだと思う。

過去を振り返り過ぎるのも良くないが、きれいさっぱり忘れてしまうことは、それ以上に悲しいことだと思う。